前編では、令和8年産米の記録的な価格急落と、その裏側で兆円単位の税金が投じられる半導体産業の対比を書きました。後編では、この「保護のされ方の違い」を、もう少し数字で掘り下げてみます。ただし今回扱う数字には、専門家の間でも評価が分かれる論点があるので、その対立点も併せて紹介しながら書いていきます。
「日本のコメは保護されている」とする指標
農業保護の国際比較でよく使われるのが、OECDが算出する「PSE(生産者支持推定量)」という指標です。農家の収入のうち、関税による価格支持や補助金など、政府の政策によって支えられている割合を示します。2020年のデータでは、日本のPSEは40.9%で、アメリカ(11.0%)やEU(19.3%)を大きく上回っています。この数字だけを見ると、日本の農業、とりわけコメは国際的にもかなり手厚く保護されている、という見方になります。
ただし、この指標自体に批判もある
ここで公平を期すために触れておきたいのが、PSEという指標そのものへの批判です。
PSEの内訳のうち、関税による保護分は「内外価格差×国内生産量」という式で計算されます。つまり、国産品と輸入品の価格差をすべて「保護によって生まれた歪み」とみなす仕組みです。しかし鈴木宣弘氏(東京大学名誉教授)は、この計算方法には大きな欠陥があると指摘しています。国産と輸入品の価格差の中には、単純な関税による歪みだけでなく、消費者が「品質や安全性への信頼」から自発的に選んで支払っている「国産プレミアム」も含まれてしまうというのです。例えば、スーパーで国産ネギが158円、中国産が100円で並んでいたとして、その58円の差は関税による歪みというより、消費者が国産の品質を評価して自ら選んでいる部分も大きいはずです。これを丸ごと「保護」に計上してしまうと、実態以上に保護水準が高く見えてしまいます。
学術的にも、PSEの内外価格差の算出は「国際価格が自国の政策で変わらない」という前提(小国の仮定)に立っていますが、アメリカやEUのような輸出大国自身の輸出補助金や生産調整が国際価格そのものを歪めている場合、輸入国側の内外価格差が過大に推計されてしまう、という指摘もあります。
つまり「日本の%PSEは40.9%で異常に高い」という数字は事実として存在するものの、それがそのまま「日本は不当に閉鎖的で、保護をやめれば数字通り公正になる」ということを意味するわけではない、という反論が成り立ちます。この点は、農政改革派(山下一仁氏など)と食料安全保障重視派(鈴木宣弘氏など)の間で、評価が真っ向から分かれている論点です。
それでも、税金の「見える使い道」で比べると差は歴然
指標そのものの評価は割れていますが、もう少し確実に言えることもあります。それは、国の予算書(税金の使い道)という尺度で比べた場合の差です。
令和8年度の農林水産関係予算は総額2兆2,956億円です。これは林業・水産業まで含めた農林水産省全体の予算です。この中でコメに直接関わる主要な予算を見ても、水田活用の直接支払交付金(麦・大豆等への転作支援が中心)が2,612億円、コメ新市場開拓等促進事業が200億円、米穀等安定生産・需要開拓総合対策事業が15億円という規模です。
一方、半導体1社への支援を見ると、次世代半導体の量産を目指すラピダス1社だけで、2027年度までの累計支援額は2.9兆円です。さらに政府は2030年度までに半導体・AI分野全体で10兆円超の公的支援を投じる方針を示しています。ラピダス1社への支援額だけで、農林水産省の年間予算総額(2.3兆円)を上回っているのです。
PSEのような「間接的な保護の推計」には解釈の余地がありますが、この「税金として実際に何にいくら使っているか」という数字は、解釈の余地が少ない、比較的確実な事実です。少なくとも、税金の直接投入という意味では、コメへの支援は半導体とは比較にならないほど少ない、とは言えそうです。
コメの関税は、日本だけの特殊事情でもない
コメの関税は精米1kgあたり341円という従量税で、当時の国際価格をもとにした参考値では従価税換算で778%に相当するとされます。この高関税と、ミニマムアクセス(年間約77万トンの低関税輸入枠)のおかげで、海外の安いコメは基本的に国内市場に入ってきません。
ただ、こうした高関税による保護は日本だけの特殊事情でもありません。輸出競争力のある穀物大国(アメリカ・カナダ・オーストラリアなど)は税金による直接支払いで農家を支える一方、輸出競争力を持たない国(日本や韓国など)は関税による価格支持に頼る傾向があります。どちらの手段を選ぶかは、その国がその品目で輸出競争力を持っているかどうかに左右される面が大きく、「守るか守らないか」というより「どう守るか」の違いだ、という見方もできます。
関税で守るコストと、下落分を補助金で埋めるコスト
農政改革派の試算では、減反(生産調整)の補助金が年間3,500億円、備蓄費用が500億円で、現行制度の財政負担は合計4,000億円。減反を廃止して価格下落分を直接支払いで補償する場合、必要な金額は1,500億円で済むとされ、差額の2,500億円が浮くと主張されています。
ただしこれは、農地集約や規模拡大といった構造改革とセットで初めて成り立つ試算です。零細な兼業農家が多い今の生産構造のまま関税だけ引き下げれば、価格低下による離農が急速に進み、かえって国内生産基盤が失われるリスクがある、というのが食料安全保障重視派からの反論です。生産効率を上昇させるための農地集約、1戸あたりの規模拡大を否定するつもりはありませんが、広大な農地を支えるための水路(井堰含む)や農道の管理には人手を要します。現状は農家や農地所有者が人手を供出し賄っている状況ですが、効率化を追求した結果、農業従事者の数が激減してしまうと、こういった保全もままならなくなる恐れがあります。そのためこれらの保全は公共工事でという発想になると却って財政負担が重くなることが容易に推測できます(現状の保全についても国の補助金は供出されていますが最低限であり、公共事業で発注するコストの比ではありません)。机上の効率と、実際の生産現場でどこまで構造改革が進められるかは、別の問題だという点は踏まえておく必要があります。
それでも「コメは守られている」と国民が感じる理由
この論争の中身がどうであれ、多くの国民が漠然と「コメは国に守られている」と感じているのには、はっきりした理由があります。第一に、1942年から1995年まで半世紀以上続いた食糧管理制度の記憶。第二に、778%という関税の数字がとにかく有名で、繰り返し話題になること。第三に、水田活用の直接支払交付金のような転作補助金の存在です。これらが「農家は国に守られているはずだ」という漠然とした印象を作り出していますが、その中身は、価格そのものを支える制度というより、関税という見えにくい形の保護と、転作を促す補助金の組み合わせです。
生産量のブレと、リスクの置き場所
もうひとつ大事な論点があります。関税で市場を閉じていることは、皮肉にも国内価格の乱高下を増幅させている側面があるということです。閉じた市場では、天候による豊作・不作の影響を国内価格だけで100%吸収するしかありません。輸入という逃げ道がないので、不作の年は価格が急騰し(令和の米騒動)、豊作の年は在庫が積み上がって価格が急落します(今回の令和8年産)。市場を開けば、この振れ幅は国際市場というクッションで緩和できるかもしれませんが、その代償として、海外の不作や輸出国の輸出規制といった、海外発の供給ショックをそのまま受けるリスクを新たに抱え込みます。どちらを選んでも、リスクの種類が入れ替わるだけです。
実は、関税で閉じた市場のままでも、需給と価格のブレを抑える仕組みは用意されています。政府備蓄米です。不足時には放出して価格高騰を抑え、過剰時には買い戻して価格下落を抑える。理屈の上では、これが緩衝材として機能するはずでした。ところが日本経済新聞の報道(2026年8月25日)によれば、実際の運用を見ると、この緩衝材はうまく機能していないようです。
同紙によれば、令和の米騒動では、品薄が始まってから半年以上が過ぎた2025年3月になって、ようやく備蓄米の放出が始まりました。しかもこの放出のタイミングが遅れたことで、相対的に割高になった25年産の新米の販売がかえって停滞し、民間在庫の積み増しにつながったとも指摘されています。対応が後手に回った結果、放出したはずの政策が、後の在庫過剰の一因になったという皮肉な結果です。
同紙の報道では、令和8年6月末時点の民間在庫は過去最大の243万トンに達し、適正水準とされる180万〜200万トンを大幅に超えているといいます。本来であれば、ここで備蓄米の買い戻しに動き、需給を引き締めて価格の急落を抑えるべき局面です。JA全中の常務理事も、同紙の取材に対し備蓄米の適切な水準回復に向けた早期の買い戻しを求めています。しかし政府はまだ買い戻しに踏み切れていません。備蓄米はすでに放出により適正水準の100万トンから32万トンまで減少し、しかもその半分は古くて主食用には回せない水準だといいます。食料安全保障の観点からも、本来はもっと危機感を持って対応すべき状況です。
買い戻しが進まない背景には、物価高対策を掲げる政府にとって、買い戻し(市場からコメを吸い上げて価格を押し上げる方向に働く政策)が、物価高対策と逆行しかねないという事情があると同紙は伝えています。消費者の生活実感への配慮は理解できますが、その結果、需給調整という備蓄米制度本来の機能が果たされず、生産者は増産方針から一転した「需要に応じた生産」への方針転換にも振り回されました。同紙の取材に対し、東京大学特任教授の鈴木宣弘氏は「消費者も生産者も政策の混迷に振り回された」と評しています。
つまり、関税で市場を閉じていても、それを補うはずの備蓄米という緩衝材の運用自体が後手に回れば、結局は乱高下を止められません。制度としての備蓄米は理にかなっていても、政治的な配慮のために発動のタイミングを見誤れば、緩衝材どころか、かえって価格変動を助長しかねない。今回の一連の動きは、そのことを図らずも証明してしまったように思います。
米農家としての結論:守られるべきは「作り続けられる力」
ここまで、評価の分かれる数字も含めて並べてきましたが、最後は米農家としての率直な意見を書いておきます。
その前に、一つだけ数字を離れた話をさせてください。コメは、単なる穀物の一つとして扱っていい存在ではないと思っています。万葉集には、田植えや稲作の情景を詠んだ歌が数多く収められており、コメは1000年以上前から日本人の暮らしと分かちがたく結びついてきました。天皇陛下が新穀を神々に供え、自らも食される新嘗祭(にいなめさい)は、今も皇室の重要な祭祀として続いています。お正月の鏡餅、神社の神饌、地域の田植え祭り。
もっと身近なところにも、コメは深く入り込んでいます。「ご飯を食べる」という言葉自体が、パンや麺を食べるときにも使われる、食事そのものを指す言葉になっています。秋になれば家電量販店で炊飯器の新製品競争がニュースになり、スーパーには新米の特設コーナーができる。コンビニのおにぎりは、いまや誰もが当たり前に手に取る日常食です。災害用の備蓄には必ずと言っていいほどアルファ米が入っていますし、日本酒という嗜好品もコメがなければ生まれていません。コメは経済的な価値だけでなく、こうした日々の暮らしの隅々にまで浸透しながら、日本の文化そのものを形作ってきた象徴的な存在でもあります。
PSEが実態以上に保護水準を見せている可能性があるという批判は、もっともだと思います。国産プレミアムを保護と一緒くたにするのは乱暴です。ただ、それを差し引いても、私はコメの生産は守られるべきだと考えています。理由は単純で、コメは「効率が悪いから作らない」という判断を許容していい品目ではないからです。半導体は、有事に輸入が止まっても当面は在庫や代替調達で食いつなぐ余地がありますが、主食であるコメが有事に輸入できなくなれば、それは即座に国民の食卓に跳ね返ります。半導体に兆円単位を投じて守る国が、主食であるコメの生産基盤をなし崩しにしていいはずがない、というのが率直な感覚です。
ただし、これは「今の関税と減反の仕組みをそのまま維持すべきだ」という意味ではありません。効率化そのものは歓迎すべきだと思っています。零細な兼業農家が多い今の構造のままでは、いずれにせよ担い手不足で立ち行かなくなります。農地の集約、スマート農業による省力化、品種改良による収量向上。こうした効率化は、コストを下げて競争力をつけるという意味で、積極的に進めるべきです。
つまり私が守られるべきだと考えているのは、「今のやり方」ではなく「国内で作り続けられる能力そのもの」です。効率化によってコストを下げながら、いざという時に国内生産を維持できる基盤は手放さない。この両立を目指すのが、農家として一番現実的な着地点だと思っています。
参考:日本経済新聞「ルポ迫真 コメ・クライシス’26(上) 備蓄米買い戻しへ 放出遅れ、消費者と生産者を振り回した失策」(2026年8月25日)

