はじめまして。このブログ「農株-noukabu-」を書いている者です。
普段は米農家として田んぼに立ちながら、株式投資を続けています。そう言うと「なぜ農業と投資?」と不思議な顔をされることが多いのですが(田植えをしながらチャートを眺めている人はさすがに少ないと思います)、実はこの二つ、根っこの部分でとても似ていると感じています。
金融機関で見てきた「狩猟民族的」な世界
私はもともと金融機関に勤めていて、企業の財務を見る仕事をしていました。そこで嫌というほど見てきたのが、目先の利益を追いかけて身の丈に合わない過大投資に走り、資金が回らなくなってから決算書の数字をこっそり(あるいは大胆に)化粧していく会社の姿です。粉飾決算というと大事件のように聞こえますが、現場で見ていると始まりはたいてい「今期だけ乗り切れば」という小さな一歩だったりします。米農家的に言えば、来年の分の種籾まで今年食べてしまうようなものです。それはさすがに来年困るだろう、と。
株式市場にも、似たような空気があります。短期的な値動きを追いかけ、次から次へと獲物を仕留めるように売買を繰り返す。そういう「狩猟民族的」なプレーヤーが、市場のニュースやSNSのタイムラインを賑わせています。もちろんそれで結果を出している人もいますが、決算書の裏側を見てきた身からすると、多くの人にとって長く続けられるやり方には見えませんでした(そして大抵、そういう会社の社長ほど声が大きいのも共通点でした)。
田んぼに立って気づいたこと
一方で、米農家としての日々はまったく違うリズムで動いています。田植えをしてから収穫まで、早くても数ヶ月。天候というコントロールできない要素と付き合いながら、土をつくり、水を管理し、ただじっと稲が育つのを待つ。焦って稲を引っ張っても早く育つわけではなく、むしろ根を痛めるだけです。
この「種をまき、育て、時期が来たら収穫する」という農耕民族的な時間の感覚は、投資の世界にもそのまま当てはまるのではないかと、田んぼに立つたびに思うようになりました。
農耕民的な狩猟民をめざして
金融機関で決算書と向き合ってきた経験、農業を通じて身についた「待つ」感覚、そしてここ数年こつこつ続けてきた投資の勉強。この三つが自分の中でつながったとき、「農耕民族的な発想で市場に向き合う」というスタイルが自分にとって一番しっくりくる資産形成の方法だと気づきました。
狩猟民族が悪いわけではありません。市場には短期で勝負する人も、長期でじっくり育てる人も、両方必要です。ただ、狩猟民族的なプレーヤーばかりが目立つ今の市場の中で、「農耕民族的な発想で資産を育てる」という選択肢があることを、もっと多くの人に知ってもらいたい。それが、このブログを始めた一番の理由です(あとは単純に、稲を見ながら株価も見ているとちょっと得した気分になるからかもしれません)。
これから、実際の売買記録や含み損益の話、農業の視点から見た投資の考え方などを、経験談として飾らずに書いていくつもりです。同じように「じっくり育てる投資」に興味がある方に、少しでも参考になればうれしいです。
なぜ農家が株を始めたのか?
農業×投資の考え方