最近、ネット上で「ショートスリーパー」を名乗る人物が何かと話題になっています。本人の真偽や、短時間睡眠が体に良いのか悪いのかという議論は、今回はいったん脇に置いておきます。それより今日書きたいのは、もっと個人的な話です。私は無類の睡眠好きです。ショートスリーパーの方々が、正直かなり羨ましい。
農家は早起きだが、ショートスリーパーではない
米農家という仕事柄、朝はどうしても早くなります。日の出とともに田んぼの様子を見に行き、水の管理をする。傍から見れば「早起きな人」に見えるかもしれませんが、これは体質としてのショートスリーパーとは全く違う話です。早く起きている分、夜も早く寝ています。睡眠時間そのものは人並みか、むしろ長い方だという自覚があります。つまり私は「早起き」であって「短眠」ではない。この違いは、意外と混同されがちです。
医学的な意味での”真の”ショートスリーパーは、10万人に4人程度という、非常に稀な体質だとされています。DEC2やADRB1といった特定の遺伝子の変異によるもので、後天的な訓練で獲得できるものではないというのが、現時点での研究の見方です。それでも「自分もショートスリーパーになれるかもしれない」という夢を見せる情報が、ネット上には後を絶ちません。今回話題になっている件についても、ご本人が公開していた健康診断の申告内容と、普段の主張との間に食い違いがあるのではないか、という指摘がSNS上で相次いでいるようです。真偽のほどは私には分かりませんし、今回はそこを論じるのが目的でもありません。
ただ、これだけは言えます。眠ることが好きな人間からすると、短眠を「羨ましい」と感じる気持ちと、それが本当に可能なのか「怪しい」と感じる気持ちは、両立します。今日は睡眠というテーマ自体を、ビジネス視点で見てみようと思います。
睡眠不足の経済損失は19兆円
短眠が本物かどうかはさておき、日本人全体で見れば、むしろ深刻なのは「眠れなさすぎる」方です。OECDの調査によると、日本人の平均睡眠時間は約7時間20分と、加盟33カ国の中で最も短いという結果が出ています。厚生労働省の2024年度調査でも、20歳以上の5人に1人が、睡眠で休養を「あまり取れていない」「全く取れていない」と回答しています。
この睡眠不足、笑い話では済みません。米シンクタンクのランド研究所は、日本の労働者が適正な睡眠時間(7〜9時間)を確保できれば、GDPの3.2%相当の損失を防げると試算しており、これを2025年度の実質GDPに当てはめると、実に約19兆円規模になるといいます。ショートスリーパーが羨ましいどころか、日本社会全体では逆に「眠れなさすぎて損をしている」状態なわけです。
こうした状況を受けて、2026年6月には大きな制度変更もありました。厚生労働省が診療科名を定める政令を18年ぶりに改正し、医療機関が「睡眠障害内科」のように診療科名として掲げられるようになったのです。これまでは心療内科や精神科など担当科がバラバラで、どこに行けばいいか分からず受診をためらう人も多かったのですが、この改正で受診のハードルが下がることが期待されています。
製薬会社が動き出している
診療科の整備を受けて、製薬各社の動きも活発です。武田薬品工業は2026年後半にも、日中に強い眠気に襲われる神経疾患「ナルコレプシー」向けに、脳内物質オレキシンに作用する世界初の新薬を発売する予定です。年間売上高10億ドル(約1,590億円)以上を見込む大型製品候補と位置付けられており、エーザイも同分野で新薬を開発中です。
不眠症治療薬でも、エーザイの「デエビゴ」が国内市場をけん引しており、世界売上高を2029年3月期に前期比56%増の1,000億円規模まで引き上げる計画を掲げています。大正製薬は2025年11月に自社開発の不眠症治療薬を発売し、ツムラも「睡眠障害」の診療科化を追い風に漢方薬の販売拡大に注力する方針です。富士経済の予測では、国内の睡眠障害治療剤市場は2035年に1,607億円と、2025年見込みから6割以上拡大する見通しです。
睡眠テック関連の銘柄をいくつか
医薬品以外にも、IT・AI技術で睡眠を分析・改善する「スリープテック」領域が広がっています。具体的な銘柄をいくつか紹介します。
- 武田薬品工業(4502、東証プライム):ナルコレプシー向け新薬を2026年後半に発売予定の製薬最大手。
- エーザイ(4523、東証プライム):不眠症治療薬「デエビゴ」で国内市場をけん引。
- 大正製薬ホールディングス(4581、東証プライム):自社開発の不眠症治療薬を展開。
- ツムラ(4540、東証プライム):漢方薬メーカー最大手。「睡眠障害内科」標榜を追い風に関連漢方薬の拡販を計画。
- サスメド(4263、東証グロース):2026年6月の診療報酬改定で、開発する不眠症治療アプリが日本初の保険適用対象となった医療スタートアップ。まだ営業赤字が続く成長投資フェーズの銘柄です。
- ニトリホールディングス(9843、東証プライム):ミネベアミツミと組み、就寝中の体動を検知してベッドの角度を自動調整する「スマートベッド」を発売。
- ミネベアミツミ(6479、東証プライム):上記スマートベッドにセンサーを供給する精密機器大手。
- 良品計画(7453、東証プライム):無印良品ブランドで「寝返りを受け止めるまくら」がヒット商品に。
- ResMed(NYSE:RMD):睡眠時無呼吸症候群向けCPAP装置で世界トップシェアを持つ米国上場企業。
なお、寝具ブランドで知られるブレインスリープ(東京・千代田)のCOOも、診療科としての認知が「睡眠障害は医療的に対処すべき病態というメッセージになる」と期待を寄せていますが、同社は現時点では未上場のスタートアップです。
余談ですが、介護・医療用ベッド国内最大手のパラマウントベッドホールディングスも、睡眠計測センサー付きベッドなどでスリープテック分野の代表格でしたが、2026年2月に創業家によるMBO(経営陣による買収)で株式を非公開化し、上場廃止となっています。中長期の成長投資に専念するための決断だったようですが、個人投資家としては、有望な銘柄が市場からいなくなってしまうのは少し寂しいものです。
終わりに、眠ることが好きな人間として
ショートスリーパーという生き方は、私には一生縁がなさそうです。むしろ、しっかり眠れる夜こそが一番の贅沢だと思っているタイプの人間です。19兆円という数字を見ると、日本社会には「短眠になりたい人」より「ちゃんと眠れるようになりたい人」の方が、経済的インパクトとしてはるかに大きい市場を作っているのだと分かります。ショートスリーパーを目指す怪しげな商材より、こちら側の市場の方が、よほど地に足のついた成長分野なのではないでしょうか。
参考:日本経済新聞「『睡眠障害』損失19兆円取り戻せ 診療科名で標榜可能に、武田が新薬」(2026年6月1日)
注記:本記事は特定個人への誹謗中傷や信用毀損を意図するものではありません。ショートスリーパーに関する話題については、SNS上で指摘されている内容を一般的な事実として紹介したものであり、真偽の判断や個人への評価を下すものではないことをご了承ください。

